須磨離宮公園の前身は皇室の別荘「武庫離宮」で、天皇陛下のご宿泊を主目的に大正3年(1914年)に造営され、昭和20年(1945年)の神戸空襲で御殿などの主要建物が焼失するまでの約30年間、大正天皇や貞明皇后、昭和天皇(当時皇太子)、「ラストエンペラー」として知られる溥儀皇帝(当時満州国皇帝)がご利用されました。離宮の造営には国宝の迎賓館赤坂離宮(旧:東宮御所)などの建築を手がけた片山東熊や新宿御苑の庭園設計を行った福羽逸人など当時最高レベルの技術者らが携わっており、宮内省(現:宮内庁)が西本願寺の門主・大谷光瑞の月見山別邸と隣接する土地を買収して大規模に造成が行われた国家事業でした。
戦後、進駐軍の射撃訓練場に接収されたのち、昭和31年(1956年)に神戸市に返還されました。昭和33年(1958年)に当時皇太子であった上皇陛下のご成婚記念事業として整備がはじまり、昭和42年(1967年)に正式開園しました。
下図は公園の図面に武庫離宮を重ねたものです。
正門から噴水広場の西や南を中心に、武庫離宮の遺構が残っています。
①正門
②馬車道
③装石(ロカイユ)
④中門
⑤潮見台
⑥傘亭と石灯篭
⑦天皇の池